ありきたりな恋の結末


 會舘の裏口は、塵置き場だった。
 ブリキの塵箱を両脇に抱えて、法介は改めて成金の意味を考える。塵を入れるものなのにくすみ一つなく銀色でピカピカと輝いている。
 何気なしに覗いて見た法介はそこに詰め込まれていた残飯に、前髪を垂らす。食に困って、塵を漁っているように思えて全身から嫌な汗が沸いた。
 そこまで落ちぶれてなどいるものかと蓋を下ろした途端、正面に人の気配。
 塵収集のリヤカーでも止まったかと思い、慌てて顔を上げた法介を先程の端正な貌が見下ろしていた。

「こっちでは、流行っているの? そういうの。」

 にっこりと笑う顔は、法介を窮地に陥れそして救ってくれた男の顔だった。確か名前は…。
「牙琉響也」
 呼び捨てにしたにも関わらず、響也は嬉しそうい法介の顔を覗き込む。腰に手を当て、幼い子供にするような仕草に、法介は対抗するように勢いよく立ち上がった。
 しかし、向かい合ってみればやはり響也の方が背が高く、法介は顎を斜め上に向けた。恐らく、不機嫌な表情になっているだろう法介を見ても、男はにこにこと笑っている。何がそんなに楽しいのかと、怪訝に思う法介に響也は答えを示した。
「嬉しいな。名前知っててくれたんだ、おデコくん。」
「さっき牙琉伯爵に伺いました。…だから、おデコくんってなんですか!?」
 法介の反論に、なおさら嬉しいと告げるように笑みが増す。
「君だよ。う〜ん、立派なおデコだなぁ」
「…。」
 褒めてるつもりなのか、この男。上流階級の人間とは、こうも傍若無人なのかと法介は言葉を失った。
 此処で口論するだけ無駄だ。
 そう結論付け、無言で回れ右をした法介を響也は暫く眺めていたようだったが、声を掛けられる前に、勝手口の扉が開いてさっき法介を追い出した男が顔を覗かせる。
 牙琉伯爵と同じように、仕立ての良い服を着た紳士だ。扉に隠れた状態で、法介と響也の姿は見えなかったらしく、キョロキョロと周囲を見回してから呼びかける。
 
「響也様、いらっしゃいますか?」

「…っ、やば。」
 響也は小さく舌打ちをすると、法介の剥き出しの腕を掴んだ。
 男に腕を掴まれたというのに不思議と嫌悪も対抗心も沸かなかった。褐色の肌と指は、女性に見劣りしないほど綺麗で、法介は一瞬目を奪われる。
 そして、ぐいと強く引かれ、法介はつられて走り出した。
「な、なんですか?」
 落とさないように強く鞄を抱きかかえて、法介は響也を見た。
「兄貴の腰巾着だよ、あーしろ、こーしろ、それはするなって、煩いったらありゃしない。」
 綺麗に整った唇と眉を曲げる響也は、法介の意志を完全に無視したまま、大通りまで引っ張って行く。挙げ句に自転車を忘れた事を思い出し、戻ろうとした法介に『だめだよ、見つかっちゃうじゃないか』と怒りだした。

 見つかって困るのは、俺じゃなくてアンタだろう!というか、連れ戻してくれこの男を!
 
 しかし、法介の叫びは響也の掌で留められる。彼のもう片方の腕は、法介の腰に回されていて、抱き付いているような体勢で響也は法介の顔を覗き込んだ。
 間近に見た響也の顔は、いっそう端正に整っている。そうして、眉で八の字を描いて響也は法介を諫めた。
「靜に、おデコくんの声、無駄に大きいんだから。」
 流石にこれはと、抗議の言葉を吐くべく鼻の穴を大きくしていると得も言われぬ良い香りが流れ込んで来る。
 母親が持っていた匂い袋とも違う、法介が生まれて初め嗅ぐ香り。
 そして、それが自分に密着している男から香るのだと悟り、絶句する。ずっと匂っていても良いと思えるほどの香りが、男からするのだという違和感と。なのに、目の前の端正な貌と香りに全く和感がない不可解さが、法介から毒気を抜いた。
 自分の腕の中で大人しくなった法介を眺めて、響也は何やら思案していたようだったが、パッと顔色を明るくした。嫌な予感に、法介の顔には汗が浮かぶ。

「おデコくんの新聞社行ってみたい! 連れてってよ。ね、良いだろ?」

 …答えは聞いてない…よな?。

 そう思った法介の言葉を裏付けるように、響也はさっさと乗合いバスの停車場に向かって歩き出した。




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